2015年10月1日木曜日

勧善懲悪 この世の誡め 「地獄極楽」

 「のぞきからくり(覗絡操)」は江戸時代の寛永年間に生まれ、社寺の祭礼・縁日に欠かせない風物誌となった。
 広場に屋台を組み、覗き穴から中の絵を見せながら、興行師が独特の節回しで口上を語り、場面 に応じて絵が入れ替わる仕掛けになっている。

勧善懲悪 この世の誡め 地獄極楽寒くともたもとに入れよ西の風、弥陀(みだ)のかなたより吹くと思えば耐え難し

<人が死したら七日目に、落ち行く先は六道の辻>

<三途の川>
娑婆から落ち来る亡者めが、左に行くなら地獄かや、右に行くなら極楽かと、迷い迷うておるならば 

三途川原の婆が「おいでおいで」と招きよせ・・・・

<閻魔の庁>

娑婆で犯せし悪事をば、つつめーども、隠せども、映せばーわかる浄玻璃の鏡

罪の重いか軽いかは、業(ごう)の秤にかけられて、地獄の迎いは火の車




<賽の河原>


 死出の山路(やまじ)のすそ野なる、賽の河原は子供の地獄。

一つやー二つ、三つや四つ、十(とう)にも足らない幼子(おさなご)が、さいの川原に集まりて、あたりの小石を寄せ集め、一重積んでは母恋し、二重積んでは父恋し、三重四重と積む石は、親戚―兄弟我が身のためと回向する。

昼は川原で遊べども、日の入相となるなれば、邪険な鬼めが現れて、積んだる石をば打ち砕く。
幼子は、石につまずき血はにじみ、血潮に染めて、とと様、かか様と泣く声は、この世のー声とはこと変わり、哀れさ骨身を突き通すなり。


<地蔵菩薩>

もったいなくも地蔵菩薩が現れたまい。泣くな嘆くな幼子よ、汝の父母(ちちはは)まだ娑婆なるぞ。娑婆と冥土(めいど)はほど遠い。冥土の父母われなるぞ。聞いて幼子喜んで、袖や衣に泣きすがる。
幼い子供をお救いたもう、賽の河原は子育てのお地蔵菩薩なり。

<極楽浄土>
これはこの世におるときに人には情け 仏法を説き 神仏を信仰なさったその人は死んで未来はうれしやな

釈迦は行けよ 弥陀は来いよのお指図で天より天人舞くだり 五色の雲のたなびく 弥陀の最終は 極楽世界

信州信濃の善光寺