2013年12月31日火曜日

「演歌を育てた男 神長瞭月」 栃木放送 特別番組 その2

「演歌を育てた男、神長瞭月」 栃木放送 開局50周年 特別番組
歌を紡いで  ~演歌を育てた男、神長瞭月~

東京節演奏とインタビュー:昭和ロマンを楽しむ会(帝大生ゆめじ&青空ぴーまん)

明治21年大宮村(現 塩谷町)に生まれた神長瞭月。上京して独学でバイオリンを学び、作詞作曲した演歌を歌いながらバイオリンを演奏する「バイオリン演歌」の先駆者です。

昭和51年に2枚組のLPレコードを発売し、88歳の生涯を終えますが、その生涯は謎に包まれ、活動の詳細もほとんど知られていません。
番組では羽黒村(現 宇都宮市上河内)で作った「羽黒音頭」のエピソードなどを交えながら、その謎に包まれた生涯に迫ります。
CRT栃木放送(ラジオ)
2013年3月31日(日)10:00 - 11:00 1時間特別番組
1530kHz(県央)1062kHz(両毛)864kHz(県北)

<放送内容 その2>
大正14年3月、日本で初めてラジオ放送が始まった。そして短い大正時代が終わり、昭和へと移っていった。

昭和になるとレコード会社が企画・制作を手がけ、専属の作詞家、作曲家が作る歌を歌手に歌わせて発売する「レコード歌謡」が生まれた。これにより流行歌の担い手が演歌師からレコードに変わった。演歌師ではなく、レコードによって歌が流行るようになった。

レコードが国内で大量生産されるようになり庶民もレコードを買いやすくなった。この影響で、街頭で歌本を売りさばいていた演歌師はメディアとしての役割を終えていった。そして演歌師はカフェや酒場などで歌い歩く「流し」に変わっていった。

30代の終り頃、瞭月は関東大震災で閉鎖した音楽教室を以前教えていた芝区三田同朋町(現在の港区芝5丁目)で再開した。そして、作詞、作曲を行い歌手としても活動を続けていた。

瞭月が得意としたのは、元歌のリズムをくずして歌う「くずし」や小唄などの邦楽を基にした歌であった。東京にはまだそのような歌を求める雰囲気が強く残っていた。

昭和16年12月に太平洋戦争が始まった。まだその頃はレコード製作ができる状況であったため、瞭月もレコード会社へ楽曲を提供し続けた。その後、戦局は悪化し空襲はひどくなってきた。

昭和20年の春、瞭月は内縁の妻とともに故郷の上平(うわたいら)に近い栃木県河内郡羽黒村中里(現在の宇都宮市中里町)へ疎開した。まもなく終戦となり、しばらく疎開生活を送った。

そのとき、瞭月はこの地に一つの歌を残した。それが「羽黒音頭」であった。
昭和30年、羽黒村は合併して上河内村となった。地元の村立中学校の音楽教師が運動会でみんなで踊ることのできる演目を探していたところ羽黒音頭というのがあることを知った。その歌と踊りをフォークダンスの代わりにできないだろうかと考えた。

羽黒音頭の魅力は羽黒全体の風景を読み込んでおり詩がよかった。詩人としても才能があった。

昭和40年、残念ながら地元の中学は統合され、その後は運動会で羽黒音頭が踊られることはなくなった。

瞭月は多感な時期を神田で過ごし、50代以降は下谷区上根岸町(台東区根岸2丁目)で暮らした。

<瞭月の娘さん談> 
「気が短くて「うるさい」とか言うが野良猫を拾ってきてえさをやったりして気持ちはやさいしい面があった。アイデアが浮かぶと夜中でも起きてギターで作曲をしていた。曲が出来上がるとどうだといって娘に聞かせて手直しなどをやっていた。」

銀座の散歩が大好き。新しもの好き、何が今はやっているかに敏感、人のやらないことをやるのが大好き。

作詞、作曲の音楽の才能以外に発明の才能もあった。発明は関東大震災以降に音楽教室を再開した頃から始めた。発明品を作って特許をとってその権利を売り音楽活動とともに生計を立てていた。消火用ポンプ、漬物を簡単に作ることができる容器など日常使われるものをたくさん特許にした。歌だけで生活するのは大変なことだと自覚していたようだ。

昭和32年暮れ、早稲田大学図書館から瞭月はある依頼を受けた。それは、「街からいなくなってしまった演歌師の証言を残すために演歌を歌ったほしい」という依頼であった。瞭月69歳のときであった。

初めて演歌にバイオリンを使った「残月一声」を含め、35分間でかって歌われていた演歌53曲を一気に歌いきった。

70歳を過ぎても自分の作った歌をレコード会社へ売り込みに行き続けた。しかし、当時の音楽業界には瞭月が生きていく場所は限られていた。

東芝レコードで昔の演歌を記録に残すためにレコードを出そうという企画をしたが売れそうにもないので周囲はひややかだった。仕方がないので、資料もの、歴史ものとして熱烈な演歌ファン向けに発売した。

神長瞭月の出すレコードだから彼とぶつかる人は選ぶことができない。瞭月自身とその弟子筋に当たる演歌師や親交のある芸者たちが録音に参加した。和やかに収録を進み半日ですべ取り終えた。昭和43年5月、東芝レコードから「演歌集 これが演歌だ」が発売された。瞭月79歳のときであった。

昭和40年代後半になると瞭月は演歌師の生き証人としてテレビや新聞で取り上げられ、再び注目された。そして昭和51年4月、「-これが基本演歌だ- 元祖・神長瞭月」のLP2枚組(45曲)をビクター音楽産業から発売した。瞭月87歳のときであった。

東芝から「演歌集 これが演歌だ」のレコード発売後にディレクターのチノさんは瞭月から未発表原稿20枚を預かった。しかしその詞を歌える歌手はそのレコード会社には当時いなかった。

しかし、未発表原稿の中の1曲は後に他のレコード会社から発売された。昭和48年3月、キングレコードから踊りに使う舞踊歌謡シリーズが発売され、その中に使われた。85歳からなくなるまでの毎年、このシリーズに瞭月の新作が採用された。そして生前に最後に発表されたのが「義経千本桜」であった。

昭和51年12月2日、瞭月はいつものように銀座へ散歩に行き帰ってから銭湯に行き食事を取って寝た。翌日、起きてこないので妻が起こしに行くと永遠の眠りについていた。88年の生涯であった。

続く <その3へ  <その1へ
昭和ロマンを楽しむ会,昭和浪漫,昭和ロマン,昭和演歌,大正演歌,明治演歌,懐メロ, ナツメロ,バイオリン演歌,書生節,昭和演歌師,平成演歌師,帝大生ゆめじ,青空ぴーまん,t栃木放送,神長瞭月,添田唖蝉坊,石田一松,船村 徹,特許

2013年12月29日日曜日

「演歌を育てた男 神長瞭月」 栃木放送 特別番組 その1

「演歌を育てた男 神長瞭月」 栃木放送 特別番組 その1

<感想>
神長瞭月は単なる演歌師では終わらない多才な才能があった。演歌に初めてバイオリンを導入した演歌師だけではなく、作詞、作曲、音楽教室経営、特許取得なども行った。また反権力の歌ばかりを歌い稼ぐようなこともしなかった。

神長瞭月は余りにも多才すぎたためかいわゆる街頭での演歌師活動を長くは続けなかった。このためか添田唖蝉坊と比較して全国的にも、栃木県内でも余り有名ではない。しかし、われわれバイオリン演歌師としては一番尊敬している演歌師である。

昭和ロマンを楽しむ会の帝大生ゆめじ&青空ぴーまんも現役演歌師としてこの番組に出演して東京節(パイノパイノパイ)を歌い、またインタビューも受けている。

「演歌を育てた男、神長瞭月」 栃木放送 開局50周年 特別番組

歌を紡いで  ~演歌を育てた男、神長瞭月~

            東京節演奏:昭和ロマンを楽しむ会(帝大生ゆめじ&青空ぴーまん)

明治21年大宮村(現 塩谷町)に生まれた神長瞭月。上京して独学でバイオリンを学び、作詞作曲した演歌を歌いながらバイオリンを演奏する「バイオリン演歌」の先駆者です。

昭和51年に2枚組のLPレコードを発売し、88歳の生涯を終えますが、その生涯は謎に包まれ、活動の詳細もほとんど知られていません。
番組では羽黒村(現 宇都宮市上河内)で作った「羽黒音頭」のエピソードなどを交えながら、その謎に包まれた生涯に迫ります。

CRT栃木放送(ラジオ)
2013年3月31日(日)10:00 - 11:00 1時間特別番組
1530kHz(県央)1062kHz(両毛)864kHz(県北)

<放送内容 その1>
今から100年前、明治時代に東京の下町で「松の声」(ああ夢の世や夢の世や・・)という歌がはやっていた。バイオリンを弾きながら歌っていたのは当時26歳の神長瞭月(本名:神長源二郎)という青年であった。今ではその名前を目にすることも聞くこともなくなった。神長瞭月とはどのような人物であったのだろうか。
彼は現在の歌謡曲のいしずえとなる「演歌」を育てた人。明治、大正、昭和を走り抜けてきた人である。

*明治時代
音楽の原点は故郷の栃木県塩谷郡塩谷町上平(うわたいら)で聴いて育った音であった。
神長家の次男として生まれ、明治36年、15歳のときに東京に出て働きながら勉強しようと上京し
船乗りの養成学校へ通う。
神田の五十稲荷(ごとういなり)の縁日で欣舞節(きんぶぶし) を聴き自分でもなにか歌を作ろうと思って作ったのが田舎から上京した女学生が堕落していく様子を描いた「松の声」であった。

<神長瞭月談>
「本郷の真砂町(当時は真砂の原といって原っぱで夜店などが出ていた)で添田唖蝉坊が向こうの方で歌っていた。あんな歌はもう今の人は飽きているだろう、これじゃ今の人はついてこないだろうと思って反対側で歌った歌が「ああ夢の世や夢の世や・・」の松の声であった。」
真砂の原:現在の本郷4丁目あたり

演奏して見せて歌本を売る演歌師の街頭での営業方法は二通りあった。
1.縁日、祭りで人を集めて行う。「立ち」といった。
2.流し、遊郭、花町を流して歩く「流(りゅう)」といった。
この1.と2.を組み合わせて営業していた。

<神長瞭月談>
「当時は歌を広めるというのは自分の口からお客の耳へ歌を伝えるしか方法はなかった。レコードの代わりを全国を回っている演歌師が行った。(ラジオ、レコードなし)
松の声の時代にはまだ楽器がなかった。虚無僧には尺八があり、ごぜには三味線がある。楽器のない歌はおそらくつまらないものだろう。何かいい楽器はないだろうかと探して見つけたのがバイオリンであった。

バイオリンの一番安いのが2円で買えた。弓が70銭、松脂は10銭、つまり2円80銭あれば一そろいそろった。楽士に2時間ばかり教えてもらって後は家で練習してどうにかバイオリンを弾けるようになった。

バイオリンを弾けるようになって「残月一声」という歌を作った。この歌によって「バイオリン演歌」の誕生となった。明治40年11月、瞭月19歳の時であった。

ここで演歌は二通りとなった。バイオリンを使う「バイオリン演歌」と添田君がやるような素で歌う「素歌(すうた)演歌」。演歌からバイオリンを取ると何が残るかというぐらいバイオリンと演歌は深い関係になってしまった。」

バイオリンを使うようになった人気が高まり新聞でも「流行書生節」として取り上げられ、その第一人者として神長瞭月の名前があげられた。

瞭月が導入したバイオリンは江戸時代の三味線伴奏から昭和に入ってからのギターへの橋渡しとしての役割を果たした。庶民が歌いたいことを歌うための工夫をした。

瞭月が導入したバイオリンで演歌はさらにひとびとに親しまれる存在となった。ここに現代へと続く大衆歌謡の道筋ができた。

*大正時代
明治時代の後半から大正にかけて映画とともに新たなメディアとして登場したのがレコードであった。大正・明治時代には巷ではやっていた歌をレコードにした。歌い手は芸者や書生節を歌っていた演歌師であった

大正3年、瞭月が初めて演歌師としてレコードを吹き込んだ。録音は川崎にあった日本蓄音器商会、現在の日本コロムビアで行われた。

ところがレコードを吹き込んだ後、瞭月は街頭に出て歌うのを止めてしまった。神田明神のそばに独立音楽会という音楽教室を開いた。外部から講師を呼びバイオリン、ピアノ、マンドリン、女学生に人気のあった薩摩琵琶を教えた。最盛期には旧東京市街6箇所に教室を構えた。
また、浅草の人気喜劇に台本を書いたり、時には役者としても活躍した。

大正12年9月1日、関東大震災で東京は焼け野原となり音楽教室は閉鎖を余儀なくされた。このとき瞭月35歳であった。

続く  <その2>  <その3

昭和ロマンを楽しむ会,昭和浪漫,昭和ロマン,昭和演歌,大正演歌,明治演歌,懐メロ, ナツメロ,バイオリン演歌,書生節,昭和演歌師,平成演歌師,帝大生ゆめじ,青空ぴーまん,t栃木放送,神長瞭月,添田唖蝉坊,石田一松,船村 徹,特許

2013年8月14日水曜日

「ありがとう梅ちゃん先生」 蒲田駅周辺は「梅ちゃん先生」で一色に 2012年9月29日

「梅ちゃん先生」最終回を観る会を開催。蒲田駅周辺は「梅ちゃん先生」で一色に。

更新日:2012年10月5日
 4月から始まった、NHKの連続テレビ小説「梅ちゃん先生」もついに最終回。戦後復興期の蒲田を舞台にした命と向き合う女性医師の奮闘記は、平均視聴率も平均20%を超えるなど、ドラマを通して大田区の良さ、蒲田の良さを全国に伝えてくれました。
 区ではこれまで「梅ちゃん先生推進委員会」を設置し、様々な取組を推進してきました。最終回放送日の9月29日にはファイナルイベントとして、俳優の片岡鶴太郎氏をお招きし「梅ちゃん先生」最終回を観る会を開催しました。

梅ちゃん先生最終回を観る会(主催:梅ちゃん先生推進委員会)

ドラマの中で、梅ちゃん一家の隣に暮らす町工場の職人役を演じた、俳優の片岡鶴太郎さんをお招きしてのイベント。当日は、午後からの開催にもかかわらず、早朝から並ぶ方がいるほど盛況ぶり。定員500人の会場もあっという間に満席となりました。
松原区長からの挨拶のあと、「梅ちゃん先生」最終回を観る会は開催されました。

梅ちゃん時代を楽しもう!「ありがとう梅ちゃん先生」 (主催:蒲田大好き委員会)

「梅ちゃん先生」最終回を観る会の開催日と同日、蒲田西口駅前広場、蒲田西口アーケード、西蒲田公園を会場に、「ありがとう梅ちゃん先生」と題した各種イベントが開催されました。

蒲田駅西口駅前広場、蒲田西口アーケード

ステージを設置した蒲田駅西口駅前広場では、ドラマの主題歌をステージで歌う「さかさまの空コンテスト」など、また、蒲田西口アーケードでは、「大田区役所くすのき連による阿波踊り」や「昭和レトロ&仮装パレード、」など様々なイベントが開催されました。フィナーレでは、梅ちゃん先生の放送を記念して制作された「梅ちゃん音頭」が披露されました。
写真:昭和レトロ&仮装パレードの様子
昭和レトロ&仮装パレードの様子(蒲田西口アーケード)
写真:さかさまの空コンテンスト
さかさまの空コンテスト参加者(西口駅前広場)
写真:ステージのフィナーレを飾る「梅ちゃん音頭」
ステージのフィナーレを飾る「梅ちゃん音頭」
写真:観覧者も一緒に「梅ちゃん音頭」
観覧者も一緒に「梅ちゃん音頭」を踊る様子

西蒲田公園

西蒲田公園では、梅ちゃん先生ふるさとまつりと題し、昔懐かしいイベントコーナーが設置。梅ちゃんグルメ&青空屋台コーナーでは、ドラマの第7話で登場した「どんぐりすいとん」をはじめ、「梅ちゃん先生」にちなんだ食べ物を販売。また、平成の闇市と称するフリーマーケットコーナーなど、西蒲田公園は昭和20年代から30年代の雰囲気に包まれました。
写真:梅ちゃんグルメ&昭和レトロコーナー
梅ちゃんグルメ&昭和レトロコーナー
写真:昭和ロマンを楽しむ会
昭和ロマンを楽しむ会の演奏の様子
写真:梅ちゃんなりきり写真撮影コーナーの様子
梅ちゃんなりきり写真撮影コーナー
写真:「万年筆売り」の様子
万年筆売りの様子
写真:射的コーナーの様子
射的コーナーの様子
写真:平成の闇市の様子
平成の闇市の様子
http://www.city.ota.tokyo.jp/midokoro/spot/hot_news/umechan_finalevent.html
バイオリン演歌 書生節 昭和ロマンを楽しむ会 昭和歌謡 戦時歌謡 帝大生ゆめじ 青空ぴーまん


2013年3月4日月曜日

大島水辺まつり (江東区東大島)


中川船番所資料館およびその周辺でさまざまな楽しいイベントを開催します。
(都営新宿線東大島駅下車)

■アーティストパフォーマンス
 なつかしの歌あり、アッとおどろくマジックあり、ウキウキワクワクなバグパイプ演奏あり。

昭和ロマンを楽しむ会も演奏します。書生節 バイオリン演歌 演歌師

3月16日(土)
 13:00 昭和ロマンを楽しむ会(昭和歌謡) 
 14:00 有紀天香(マジック)
 15:00 東京メトロパイプバンド(バグパイプ演奏)
 
場所:大島9-10先周辺(都営新宿線東大島駅下車)
 どなたでも入場無料。当日直接会場へ。

中川船番所資料館でもイベント開催!

2013年2月27日水曜日

演歌を育てた男、神長瞭月 栃木放送 開局50周年 特別番組



栃木放送 開局50周年 特別番組
    
      歌を紡いで
~演歌を育てた男、神長瞭月~

明治21年大宮村(現 塩谷町)に生まれた神長瞭月。上京して独学でバイオリンを学び、作詞作曲した演歌を歌いながらバイオリンを演奏する「バイオリン演歌」の先駆者です。

昭和51年に2枚組のLPレコードを発売し、88歳の生涯を終えますが、その生涯は謎に包まれ、活動の詳細もほとんど知られていません。
番組では羽黒村(現 宇都宮市上河内)で作った「羽黒音頭」のエピソードなどを交えながら、その謎に包まれた生涯に迫ります。

CRT栃木放送(ラジオ)
2013年3月31日(日)10時から1時間特別番組

1530kHz(県央)1062kHz(両毛)864kHz(県北)

<放送内容>
昭和ロマンを楽しむ会の帝大生ゆめじ&青空ぴーまんも現役演歌師としてちょっとだけ出演して東京節(パイノパイノパイ)を歌っている。

神長瞭月の娘さんへのインタビューもあり日常の作曲活動や特許取得の苦労について語っていて面白かった。
 
神長瞭月は多才な方で後には演歌師をやらずに特許取得や音楽を教えたり、他人に楽曲を提供して生活するようになったようです。
 
この特別番組で瞭月の娘さんが「瞭月はギターを使って作曲していた」と話していた。演歌にバイオリンを初めて使った演歌師がギターで作曲とは流行を追い合理性のある仕事ぶりだと思った。

また、同じ栃木県塩谷町出身の作曲家、船村 徹へのインタビューもあり、神長瞭月を同じ作曲家として尊敬していたことがよく分かる内容であった。

船村 徹はインタビューの中で、演歌の種をまいた添田唖蝉坊は呼び捨てだがその芽を育てた神長瞭月に対しては神長先生と「先生」を付けていた。その後に続いたのんき節の石田一松も石田先生と呼んでおり、同業の先輩音楽家だと認めていると感じた。添田唖蝉坊は音楽家でなく作詞家か?

それらの後につながっている、続いているのが船村徹らの現在の大衆作曲家だという認識であった。

         <演歌を育てた男、神長瞭月>  昭和ロマンを楽しむ会出演部分(東京節)

 
神長瞭月は昔からある歌やメロディーを利用して歌いやすいように工夫して作曲したのではなかろうか。

著作権の問題があるが機会があれば内容をもっと解説したい。




2013年2月7日木曜日

「昭和ロマンを楽しむ会」 どこへでも出張演奏します


昭和ロマンを楽しむ会 どこへでも出張演奏!


昭和ロマンを楽しむ会 施設、イベントで演奏します!  なつかしい歌が消えないように活動しているグループ

都内や千葉県内のイベントや介護福祉施設・デイケア施設などで、明治・大正を含め、昭和を中心とした演歌・唱歌をヴァイオリンとウクレレ伴奏で歌い、また皆様にも歌っていただいています。

江東区「江東区街かどアーティスト」
船橋市公認ライブ「まちかど音楽ステージ」出演
千葉市文化振興財団
アマチュア・アーティストバンクちば

地域や施設などのさまざまな機会に出演致しますので、お気軽にホームページからお問い合わせください。
http://www.geocities.jp/peaceman_f/syowa-roman/index.htm

昭和ロマンを楽しむ会 

e-mail: peaceman_f@yahoo.co.jp
代表:福永(青空ぴーまん)

”Welcome to Retrospective zone”
昭和ロマンを楽しむ会
バイオリン演歌・書生節活動紹介(写真)
バイオリン演歌・書生節動画


昭和歌謡、昭和ロマン、昭和レトロ、書生節、バイオリン演歌、大正演歌、なつかしい歌、唱歌、ボランティア、戦時歌謡 昭和演歌師 平成演歌師 懐メロ

2013年2月6日水曜日

街角に流れくるメロディー バイオリン演歌(書生節)

街角に流れくるメロディー バイオリン演歌

 明治・大正、ついでに昭和の歌まで演奏しながら歌ってみよう。リズムを守らず自由に自分の感情で歌います。
 
ラジオもあまり普及していなかったので社会的事件も扱い、演歌師によって広められていきました。
 


 熱海の海岸 貫一お宮お別れの場面 
(金色夜叉の唄)

  

 

 バイオリン演歌ちんどんショウ

やはり美しき天然が一番ぴったりくる。
 

2013年2月3日日曜日

大正時代まつり(与野) 2004年 パレード参加


           
           

 東京市 帝大生ゆめじ(本代を得んがための苦学生)  
弟の学費の面倒をみてくれているお姉さまと
  
 
 

2004年10月30日 大正時代まつり (与野)   
                    
私はあほ九歳、帝大の制帽をかぶり、白絣の着物に袴をはき、バイオリンを手に持っていた。小雨の中を高下駄で与野西口商店街に出てきたのであった。あたりを見回すと高下駄の書生は私を含め2名のみだが、矢絣の着物に革靴の魅力的な女学生(ハイカラさん)がたくさん歩いている。

テレビなどのカメラが来たが、素足に高下駄を履いている足ばかりを撮っている。それほど、高下駄は絵になるということか。足は冷たいし鼻緒で足の指は痛いし、本人は大変である。

コンビニの前で雨宿りをしながら、バイオリンを持っていると、車椅子に乗ったおばあさんとそれを押す女性が通りかかった。「バイオリン弾けるなら何か演奏してください」と女性に頼まれた。大正時代の名曲「籠の鳥」を演奏すると、車椅子のおばあさんは歌いだした。3番まで歌って演奏を終了したが、おばあさんはなおも歌い続けたのであわてて演奏を続け、7番(最後?)まで歌ってくれた。私の後ろに置いてあるバイオリンケースを見て「カンパしなくてもいいのかね」とまで気を使ってくれた。歌ってくれたおばあさんたちを感謝の気持ちで見送った。

それから雨の中を開会式、その後パレードに参加したが、バイオリンを持った苦学生で登場のつもりが雨でバイオリンはかさに替わってしまっていた。駅近くの信号機のあたりで、再度、車椅子のおばあさんに会った。「また演奏してもらおうと思って来ました」と話しかけてきたが「パレード中なのであとでーー」といってその時は別れた。

その後、雨はどんどんひどくなり、2回目のパレードは中止となり、その後おばあさんの前でバイオリンを演奏することもなく大正時代まつりは終了してしまった。雨を恨んでもしかたがないが残念!
来年こそは晴れて、あのおばあさんたちの前でまたバイオリンを演奏したいものである。

最後に、お祭りの実行委員会スタッフの皆様には雨の中、大変お世話になりました。

当日演奏した大正時代の曲:籠の鳥、官立某高等学校全寮歌、故郷、浜千鳥、赤とんぼ,しゃぼん玉等  

昭和ロマンを楽しむ会 紹介

昭和ロマンを楽しむ会 

バイオリンとの合奏で昭和歌謡・唱歌を楽しもう!

  

 

バイオリン演歌・書生節活動紹介
  


 

 

 



 

  2011年9月17日(土) 大正ロマン 柴又宵まつり
 

大正時代、まだギターが日本になかった頃、学生は楽しいとき、悲しいときにバイオリンを伴奏に歌っていました。
そして、書生たちは学資をかせぐアルバイトとして、寅さんと同じ香具師の仲間となり大道、お祭等でバイオリンの弾き語りをしながら唄本(歌詞カード)を売っていました。レコードもラジオもない時代ですからいいバイトだったそうです。
現在は、芸人による寄席芸としてしか残っていないバイオリン演歌・書生節を本物の書生がお届けします。


2013年2月2日土曜日

明治・大正時代のバイオリンの楽しみ方

 バイオリンを演奏する学生(札幌農学校)


 

バイオリンを楽しむ農学校学生たち(明治31年頃)
左から森本厚吉、有島武郎、森廣

有島武郎(1878~1923):近代文学・白樺派を代表する作家
(北海道大学資料)
 

 大正時代は阿波踊りにもバイオリン!

 

 バイオリンは演歌師だけものではなかった。信じられないかも知れないが、あの阿波踊りにも、編み笠、着物に袴でバイオリン隊が登場して流していた。
 バイオリンはもう西洋の楽器といって差別するのではなく、大正演歌や民謡に取り入れられていたのだ。もう一度、クラシックでないバイオリンが平成の世に復活することを願って頑張りたい。

 なお、アメリカのカントリーソングや、南アメリカのフォルクローレ(ケーナ等の民族楽器との合奏))でもバイオリンが必ずといって入っている。

「大正時代になると鳴り物にも変化があり、いろんなものが使われ始めた。もちろん三味線や鼓が主体ではあったが、大正から昭和初期にかけてはバイオリンやマンドリン、ハーモニカ、クラリネットといった西洋楽器が広く用いられた。
 バイオリンと尺八の合奏もあった。その時代に流行したものは、すぐに阿波踊りに取り入れられていることが分かる。楽器の変化とともに踊りそのものも多様化していった。」

徳島新聞<新聞にみる阿波踊り>

バイオリン演歌師・書生節演歌師 紹介


バイオリン演歌師紹介
 
 昔の有名なバイオリン演歌師   書生節 大正演歌

 ★神長瞭月(1888~1976):
神長瞭月は、バイオリンを独学で学んで演歌の伴奏楽器として初めて使用した先駆者(パイオニア)。「松の声(女学生堕落の歌)」、「ハイカラソング」
 ★宮島郁芳(1894~1970):
演歌師となり学資を稼ぎ早稲田大学文科予科に入学「金色夜叉」の歌を作詞作曲。バイオリンを弾きながら歌い爆発的なブームを呼んだ。その後「流浪の旅」、「馬賊の歌」(作詞)などを発表。
 
鳥取春陽(1900-1932)
自ら歌い、作曲もしたバイオリン演歌師。「篭の鳥」を作曲し大ヒットさせた。東京で新聞配達をしながら神田正則英語学校(夜間)に通う(1916)。その後、演歌組合員として活動に入る。また、山の手組石田一松を積極的に応援する。「馬賊の唄」作曲。
 
石田一松(1902~1956):
法政大学在学中にバイオリン片手にノンキ節で人気。戦後、東京から衆議院議員に当選4回。寄席でも活躍した。元祖タレント議員
 
田浦美津路:石田一松の直弟子
桜井敏雄(1909~1996):田浦の弟弟子、 レコード、CD多数あり
大江しげる(元東京演芸協会): 時事演歌。 「のんき節」替歌 
   昭和27年から玉川スミとコンビを組んだこともある。
 

 

 現役のバイオリン演歌師紹介

明治の終わりから大正、昭和にいたるまで有名、無名のバイオリン演歌師がたくさんいました。
書生節、バイオリン演歌、大正演歌、演歌師、大正の演歌師、昭和の演歌師、平成の演歌師、昭和演歌、平成演歌

<現代のバイオリン演歌師・昭和の演歌師・平成の演歌師 動画まとめ>

バイオリン演歌・書生節動画 (活躍中のさまざまな演歌師たち)

現役の演歌師たち
高木蜻蛉之介さんが書生節ユニットの(幽)底辺芸能社を結成して大阪新世界の大道で活動している。
  
 
 (幽)底辺芸能社

辻演歌・書生節
底大生によるバイオリン演奏
  

 

 その他の演歌師

楽四季 一生(たのしきかずお):
ウィークエンドエンターティナー(週末芸人)、土日、祭日に東京・川崎・横浜を中心に活動。
活動場所は、老人ホーム・商店街等の各種イベント会場。ボランティア、イベント等で活躍中。バイオリン歴は10年以上。
大正時代に流行った唄を中心に聞いたり唄ったり、また資料の公開、情報交換等を行う”大正を唄う会”も主催している。
  
 
森田銀月 (正調演歌書生節研究保存会会長)

明治大正期の演歌を当時の楽譜や音源を元に復刻している書生節研究家でもある演歌師。普段も着物を着て生活している。

大正期に書生による夜のアルバイトとして発達を見た<書生節>の研究と保存、さらには街頭における演奏活動を実践している。

森田銀月はほぼ毎週末、家族連れなどでにぎわう井の頭公園に立つ。「かすりの着物、木綿のはかま、げた……。往年の演歌師たちと同じ服装が目をひく。公園で郷愁誘う !」と2005年9月11日の読売新聞朝刊で紹介された。
 

青空ぴーまん 若旦那バイオリン演歌師 
大店の旦那さん(若旦那)の芸事が高じて大道で人にバイオリンを聞かせたくなったようなクラシックレッスンを受けた演歌師
寄席でバイオリンを弾いている芸人よりはるかにバイオリンは弾けるがだんな芸。
 
最高齢の演歌師 小澤昭二(小沢昭二)
昭和2年(1927年)生まれだから昭二(しょうじ)だそうである。バイオリン演歌は桜井敏雄師匠に習う。

昔は熱海市主催の「尾崎紅葉祭」にも出演してバイオリン演歌を披露していたし、野毛の大道芸にも何回も出演していた。
 

関東地区で活躍する私立大書生演歌師
 



 リンク集

 演歌・唱歌 曲目と流行年
明治、大正、昭和時代のバイオリン演歌! どんな曲がいつ頃はやっていたのかがすぐ分かる。大正時代に建てられた東京駅、丸ビル、神谷バー(浅草)、東京帝大安田講堂がいつできたかも分かる。    
 なつかしい建物(明治・大正・昭和)
バイオリン演歌が盛んだった頃の近代的建物を紹介します。
東京駅、丸ビル、神谷バー(浅草)等
 
 
 Web上で見つけたバイオリン演歌師
まだ直接確かめていないバイオリン演歌師たちです。
ギター、アコーディオンによっていま滅びかけているバイオリン演歌師がどんどん増えることを願っています。
 楽四季 一生
ヴァイオリン演歌ではアマチュアナンバーワン!
胡弓(中国のニ胡ではない)も大道芸としてやっている。

書生節・バイオリン演歌・明治大正演歌の現役演歌師たち(動画)

書生節・バイオリン演歌・明治大正演歌の現役演歌師たち(動画)

明治43年頃、神長瞭月が「演歌」の伴奏にバイオリンを使用し始めた。この流れをくむ現役のバイオリン演歌師たちをYoutube動画からまとめた。


小澤昭二、楽四季一生、神川 仁、帝大生ゆめじ&青空ぴーまん、上方書生節協会(宮村群時&旭堂南海&今田健太郎)、医楽坊、福岡詩二、福岡詩乃里

桜井敏雄(故人)

添田唖蝉坊、添田知道(添田さつき)、神長瞭月、石田一松、田浦美津路、大江しげる
書生節 バイオリン演歌 明治大正演歌 昭和の演歌師 現役の演歌師